#1 代表対談
辻 愛麻
同志社大学政策学部3年。インドネシア、スリランカ、ケニアにて国際交流・国際協力事業に参加。大学入学以来、日本ケニア学生会議2年間ケニア・日本の学生の交流事業の運営・参加を行ってきた。 |
前田 実咲
慶應義塾大学経済学部3年。アデオジャパンにて、2011年8月〜12月にソマリア難民キャンプ等でNGO研修。Development Japan共同代表としてIMF世界銀行年次総会にユース代表の一員として参画した。 |
― アフリカに興味を持ったきっかけ ―
(西日本代表 辻愛麻)中学2年生の時に「ダーウィンの悪夢」っていう映画を見たのがきっかけ。湖にナイルパーチっていう外来魚が放流され、まわりの漁村の生活が一変。
工場が出来たことによって貨幣経済がメインになり、格差がうまれる。
格差の犠牲者の売春婦や、発泡スチロールを溶かして煙を吸う子どもがいて。
最後に登場人物ひとりひとりが「教育を受けたい」って言っているシーンがあってそれ が今でも残ってる。
そのときは「私が助けなきゃ!」みたいな感じだったけど、大学にあがるまでには実際 のアフリカについて勉強していって「ファンキーだなあ。一緒に何が出来るんやろ」っ て考えるようになってたかな。
それと後から知ったけど、イギリス方の家族が、植民地時代にケニアに住んでたらしく て。おばあちゃんとは割と馬があったみたいだから、何か縁があったのかな(笑)。
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(東日本代表 前田実咲)私はプロテスタントの中高一貫校に通っていたんだよね。私はクリスチャンではないけど、毎日礼拝があって、その後にNGOや国連で働いている方の話を 聞く機会が多くて。礼拝に限らず、興味ある人を集めて個別に話をする会もけっこう頻繁 に設けられてた。感受性豊かな時期だったこともあって、高校のときからいわゆる国際協 力というものに興味を持っていて、大学生になったらやってみたいな、とすごく軽い気持 ちで思っていたのね。
でも高校にいたときは話を聞くのが圧倒的にアジアの人が多いから「あれ、アフリカっ て?」みたいな。アフリカはより遠くて、より距離感のある場所、あまり人も行ってなさ そうだし、みんな知らなさそうだし、イメージでしたない世界で、知りたい!行ってみた い!みたいな感じだったかな。
だから私は、アデオジャパンに入ってみて、現地に行ってみて、知ったもの、吸収できた ものの方がずっと大きかったな。最初のきっかけとか、私にとっては超どうでもいいし、 超陳腐なものだと思うの(笑)。アデオジャパンのメンバーにいろいろ教えてもらった り、気付かされたり、怒られたりして知ったことや、実際現地に行って、見て、感じて、 知ったもの、得るものが多くて。それをだんだん自分の中で組み立てていくことができた のかなって思います。
でも高校にいたときは話を聞くのが圧倒的にアジアの人が多いから「あれ、アフリカっ て?」みたいな。アフリカはより遠くて、より距離感のある場所、あまり人も行ってなさ そうだし、みんな知らなさそうだし、イメージでしたない世界で、知りたい!行ってみた い!みたいな感じだったかな。
だから私は、アデオジャパンに入ってみて、現地に行ってみて、知ったもの、吸収できた ものの方がずっと大きかったな。最初のきっかけとか、私にとっては超どうでもいいし、 超陳腐なものだと思うの(笑)。アデオジャパンのメンバーにいろいろ教えてもらった り、気付かされたり、怒られたりして知ったことや、実際現地に行って、見て、感じて、 知ったもの、得るものが多くて。それをだんだん自分の中で組み立てていくことができた のかなって思います。
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(辻)うちも中高一貫校・キリスト教。国際協力系の人の講演はなかったけど「人権週間」っていう差別に深く取り組む月間があって。
うちの周りは特に「差別や社会問題について真剣に考える」ことが…なんていうかダサくないし、抵抗がなかった。
「議論」が出来る環境やそういう「本気の人」に触れる機会ってすごく大事だよね。
(前田)うん、環境が個人に与える影響ってとてつもなく大きい。
私は今こうして東日本代表なんてたいそうな名前のもと、色々させてもらっているけど、私個人というより完全に環境の恩恵を受けているだけだと思うし。
(辻)分かる。そしてそういう「環境」って「誰に」触れるかで本当に変わる。
自分が本気で何かに関わりたいと思ったら、まず人に会いに行くべきだし、本気の組織に入ることがベストなんじゃないかって思うんだよね。
人って肉体的にはひとつだけど、心って絵の具ごちゃ混ぜにしたパレットみたいに人と繋がっているし影響し合っていると思う。
私はきっかけが映画。でもそこから開発関係の人たちの情熱や、アフリカンの気の良さをもっと自分に混ぜ込みたくて、今この活動続けているのかなあ って思う。
みさの話聞きながら、「自分を組み立てていく」っていうのは人とそういう色を分かち合うことなのかなって思ったよ。
うちの周りは特に「差別や社会問題について真剣に考える」ことが…なんていうかダサくないし、抵抗がなかった。
「議論」が出来る環境やそういう「本気の人」に触れる機会ってすごく大事だよね。
(前田)うん、環境が個人に与える影響ってとてつもなく大きい。
私は今こうして東日本代表なんてたいそうな名前のもと、色々させてもらっているけど、私個人というより完全に環境の恩恵を受けているだけだと思うし。
(辻)分かる。そしてそういう「環境」って「誰に」触れるかで本当に変わる。
自分が本気で何かに関わりたいと思ったら、まず人に会いに行くべきだし、本気の組織に入ることがベストなんじゃないかって思うんだよね。
人って肉体的にはひとつだけど、心って絵の具ごちゃ混ぜにしたパレットみたいに人と繋がっているし影響し合っていると思う。
私はきっかけが映画。でもそこから開発関係の人たちの情熱や、アフリカンの気の良さをもっと自分に混ぜ込みたくて、今この活動続けているのかなあ って思う。
みさの話聞きながら、「自分を組み立てていく」っていうのは人とそういう色を分かち合うことなのかなって思ったよ。
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(前田)契機、過程、結果って本当に違うよね。契機は正直何でも良いと思う。
全てのものを与えてもらったものとして、それに対していかに姿勢良く向き合うことが出来るかどうか。
与えてもらったならそれを丁寧に咀嚼して、自分のカラーをつけた言葉や成果にしていくことが重要。
それが「結果」であり、「自分を組み立てる」であり、「今の自分」なのかなと。
(辻)うん、うちらってさ、「与えられた」っていう気持ちの強い2人だなってふと思うの。それは話してる中でしょっちゅう思う。
例えばアフリカにしても「与える」スタンスの人は今でも多いなって思って。
でも私たちって、今自分を作る18、19歳っていうの時期にケニアに行って、そこで与えてもらったこと、教えてもらったことが本当に計り知れない。
全てのものを与えてもらったものとして、それに対していかに姿勢良く向き合うことが出来るかどうか。
与えてもらったならそれを丁寧に咀嚼して、自分のカラーをつけた言葉や成果にしていくことが重要。
それが「結果」であり、「自分を組み立てる」であり、「今の自分」なのかなと。
(辻)うん、うちらってさ、「与えられた」っていう気持ちの強い2人だなってふと思うの。それは話してる中でしょっちゅう思う。
例えばアフリカにしても「与える」スタンスの人は今でも多いなって思って。
でも私たちって、今自分を作る18、19歳っていうの時期にケニアに行って、そこで与えてもらったこと、教えてもらったことが本当に計り知れない。
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― 実際に足を運んでみて ―
(前田)「身の丈を知る」ことの大切さね。
(辻)その心は?
(前田)ケニアにいる間に読んだ本の中で、自分の中の思いを確信させてくれた文章があって。
そこに表されてると思うので引用するね。
『異文化圏の中で、背負って来ている歴史や環境が全く異なる人と単身向き合うことが、どれほど辟易とするくらいしんどいことか…。
絶望や屈辱も含めた異文化での様々な摩擦や衝突を経て、私たちは次第に自分を多面的な鏡に映し出していくことを覚えるのである。そして、自らの心の奥深くに向かって問い始める。「日本とは何か」「日本人とは何か」と。そういった自分との対話に支えられたメッセージだけが、外の人の心をも動かす力をもつようになるに違いない。外を知れば内がわかる。内がわかれば外とつながる回路ができるのだ。』
『わたしたちは「世界を知る」という言葉を耳にすると、とにかく「教養を高めて世界を見渡す」といった理解に走りがちである。しかし、そのような態度で身に付けた教養等何も役に立ちはしない。世界を知れば知るほど、世界が不条理に満ちていることが見えてくるはずだ。その不条理に対する怒り、問題意識が、戦慄するがごとく胸に込み上げてくるようでなければ、人間としての知とは呼べない。世界の不条理に目を向け、それを解説するのではなく、行動することで問題の解決にいたろうとする。そういう情念をもって世界に向き合うのでなければ、世界を知っても何の意味もないのである。』
この言葉を読んだ時、あー、自分ケニアに4ヶ月来て本当よかったって確信出来たの。
研修生として世界最大の難民キャンプに行って、元々何かするんだ!と意気込んで行ったわけではなかったにしろ、あまりに自分が無力で、嫌なこともたくさんあって、歪みや矛盾ばかりを目にして、目を背けたくなりそうだった。
物事の影響を受けやすく、いくらでも舵を取り直すことが出来る年齢の時に「身の丈を知る」こと。
それはその後の自分の在り方に大きな影響を与えるだけでなく、大きな覚悟を持たせてくれるものだったなと思う。
(前田)「身の丈を知る」ことの大切さね。
(辻)その心は?
(前田)ケニアにいる間に読んだ本の中で、自分の中の思いを確信させてくれた文章があって。
そこに表されてると思うので引用するね。
『異文化圏の中で、背負って来ている歴史や環境が全く異なる人と単身向き合うことが、どれほど辟易とするくらいしんどいことか…。
絶望や屈辱も含めた異文化での様々な摩擦や衝突を経て、私たちは次第に自分を多面的な鏡に映し出していくことを覚えるのである。そして、自らの心の奥深くに向かって問い始める。「日本とは何か」「日本人とは何か」と。そういった自分との対話に支えられたメッセージだけが、外の人の心をも動かす力をもつようになるに違いない。外を知れば内がわかる。内がわかれば外とつながる回路ができるのだ。』
『わたしたちは「世界を知る」という言葉を耳にすると、とにかく「教養を高めて世界を見渡す」といった理解に走りがちである。しかし、そのような態度で身に付けた教養等何も役に立ちはしない。世界を知れば知るほど、世界が不条理に満ちていることが見えてくるはずだ。その不条理に対する怒り、問題意識が、戦慄するがごとく胸に込み上げてくるようでなければ、人間としての知とは呼べない。世界の不条理に目を向け、それを解説するのではなく、行動することで問題の解決にいたろうとする。そういう情念をもって世界に向き合うのでなければ、世界を知っても何の意味もないのである。』
この言葉を読んだ時、あー、自分ケニアに4ヶ月来て本当よかったって確信出来たの。
研修生として世界最大の難民キャンプに行って、元々何かするんだ!と意気込んで行ったわけではなかったにしろ、あまりに自分が無力で、嫌なこともたくさんあって、歪みや矛盾ばかりを目にして、目を背けたくなりそうだった。
物事の影響を受けやすく、いくらでも舵を取り直すことが出来る年齢の時に「身の丈を知る」こと。
それはその後の自分の在り方に大きな影響を与えるだけでなく、大きな覚悟を持たせてくれるものだったなと思う。
(辻)国際交流をやっていたら「絶望も屈辱も含めた異文化での様々な摩擦や衝突を経て」って部分。絶対に見る。
最初の3日間とか、ばらばらに過ごしていたら、ストレスって軽減できるやん。でも1ヶ月、共同生活していたら、お互いの知らなかった部分まで見えてきて。
それを「文化」交流と呼ぶのか「個人交流」と呼ぶのかは知らんけど。
それをきっかけに吹き出すお互いの価値観の「耐えきれないとこ」を言いあうチャンスが出来るのね。
「価値観の尊重」=「距離の取り方」ではなくて
がっつり共有して「なんで!?」って繰り返して、それを五感で納得して、はじめて「価値観の尊重」が出来るようになると思う。
もっと生々しいし、タフなものだよね。
そして軽い言葉で「異文化交流」「変化」を言っていたなって「痛感」して。
自分の歪みや凝り固まった価値観にも気づいて、「自分」を見つめることが出来る。
実際行ってみて思ったことっていうと、私はねえ。なんだろうな、言葉にするのが難しい(笑)。
「あまいねん小娘!」って感じ(笑)。
想像していたよりアフリカって広いんだなあって本気で感じた。
例えば日本でも京都いくのと東京いくのと北海道行くので全然ちゃうやん。
しかも同じ京都で清水寺にいくのと、スタバにいくのでは違う。
えまに出会うのと、みさに出会うのでもその人の体験は違う。
同じようにアフリカ54カ国のひとつ、3つの町しかいってなくて。
30人ぐらいの人にしか会ってなくて。
さらには2年前やけど町も人も毎日変わる。
ナイロビにKFCできたんやで?若者のライフスタイル激変してるんちゃうかなあ。
言葉で「アフリカって広いの!」「多様性が!」って言うのは簡単やけど、本当の広さを前にして、その言葉が思いっきり深みを増したな。
「アフリカについて講演してください!」て言われても
「私の見た部分でしか話せへんけどいい(笑)?」ってなるもん。
(前田)そうだよね。さっき話した屈辱だ身の丈だなんだで、私も本当同じように思う。
(辻)そう。結局全部、現地で学んだことだからね今言葉にしてることって(笑)。
(前田)血肉。本当にね。
最初の3日間とか、ばらばらに過ごしていたら、ストレスって軽減できるやん。でも1ヶ月、共同生活していたら、お互いの知らなかった部分まで見えてきて。
それを「文化」交流と呼ぶのか「個人交流」と呼ぶのかは知らんけど。
それをきっかけに吹き出すお互いの価値観の「耐えきれないとこ」を言いあうチャンスが出来るのね。
「価値観の尊重」=「距離の取り方」ではなくて
がっつり共有して「なんで!?」って繰り返して、それを五感で納得して、はじめて「価値観の尊重」が出来るようになると思う。
もっと生々しいし、タフなものだよね。
そして軽い言葉で「異文化交流」「変化」を言っていたなって「痛感」して。
自分の歪みや凝り固まった価値観にも気づいて、「自分」を見つめることが出来る。
実際行ってみて思ったことっていうと、私はねえ。なんだろうな、言葉にするのが難しい(笑)。
「あまいねん小娘!」って感じ(笑)。
想像していたよりアフリカって広いんだなあって本気で感じた。
例えば日本でも京都いくのと東京いくのと北海道行くので全然ちゃうやん。
しかも同じ京都で清水寺にいくのと、スタバにいくのでは違う。
えまに出会うのと、みさに出会うのでもその人の体験は違う。
同じようにアフリカ54カ国のひとつ、3つの町しかいってなくて。
30人ぐらいの人にしか会ってなくて。
さらには2年前やけど町も人も毎日変わる。
ナイロビにKFCできたんやで?若者のライフスタイル激変してるんちゃうかなあ。
言葉で「アフリカって広いの!」「多様性が!」って言うのは簡単やけど、本当の広さを前にして、その言葉が思いっきり深みを増したな。
「アフリカについて講演してください!」て言われても
「私の見た部分でしか話せへんけどいい(笑)?」ってなるもん。
(前田)そうだよね。さっき話した屈辱だ身の丈だなんだで、私も本当同じように思う。
(辻)そう。結局全部、現地で学んだことだからね今言葉にしてることって(笑)。
(前田)血肉。本当にね。