本会合カウントダウン
【TICAD Ⅴ開催まであと7日!】
ユースの参画
西部アフリカ事前渡航に参加したアドボカシー代表の村岡楓公より。
「開発政策は誰が決めているのか、誰が決めるべきなのか、考えたことはありますか?
例えばこれまで何十年も開発に携わってきた専門家の方々。当事国の政府や国際機関。近年はCSO(市民社会)の重要性も認識されており、また経済開発の文脈においては民間セクターの主張にも目が向けられています。
それらに加え忘れられてはならないのが、「ユースの声」です。
アフリカでは人口の60%が35歳以下であるという統計からも分かるように、ユースは人口の大部分を占める層です。ユースは社会的地位や組織に囚われることなく、本当に求める将来の世界像を込めた自由で率直な声を発することのできる存在であり、またその将来の世界を背負う者たちです。加えて、例えば教育、例えば雇用といったユースが正に当事者となる開発課題が多くあることも無視してはいけません。
私たちがブルキナファソの首都ワガドゥグで行われたTICAD Vに向けた高級実務者会合に出席した際、すぐ目の前で、高等教育はどうあるべきかという議論が交わされていました。私は、今高等教育を受けている者として主張したい高等教育の姿がありますし、それは共に出席した他のアフリカン学生も同じであったと思います。しかし私たちはその場にオブザーバーとして出席していたため、私たちが発言をしたところで議事録にすら残りません。
もちろんアフリカに数億人いるユースの声を全て集め、盛り込んだ政策の決定は現実的に不可能です。しかし、ユースの望む世界を見据えた政策決定を目指すことは、より良い将来のために、今後強く促進されていかなければならない取組です。
それが私たちの主張する、「ユースの参画」です。」
知識も経験も浅い私たちユースの声は、確かに説得力に欠け、聞く耳の持たれない場面も多いかもしれません。
しかし、これからの世代を担うユースだからこそ、伝えたい思い、伝えられる思いがあります。
「開発政策は誰が決めているのか、誰が決めるべきなのか、考えたことはありますか?
例えばこれまで何十年も開発に携わってきた専門家の方々。当事国の政府や国際機関。近年はCSO(市民社会)の重要性も認識されており、また経済開発の文脈においては民間セクターの主張にも目が向けられています。
それらに加え忘れられてはならないのが、「ユースの声」です。
アフリカでは人口の60%が35歳以下であるという統計からも分かるように、ユースは人口の大部分を占める層です。ユースは社会的地位や組織に囚われることなく、本当に求める将来の世界像を込めた自由で率直な声を発することのできる存在であり、またその将来の世界を背負う者たちです。加えて、例えば教育、例えば雇用といったユースが正に当事者となる開発課題が多くあることも無視してはいけません。
私たちがブルキナファソの首都ワガドゥグで行われたTICAD Vに向けた高級実務者会合に出席した際、すぐ目の前で、高等教育はどうあるべきかという議論が交わされていました。私は、今高等教育を受けている者として主張したい高等教育の姿がありますし、それは共に出席した他のアフリカン学生も同じであったと思います。しかし私たちはその場にオブザーバーとして出席していたため、私たちが発言をしたところで議事録にすら残りません。
もちろんアフリカに数億人いるユースの声を全て集め、盛り込んだ政策の決定は現実的に不可能です。しかし、ユースの望む世界を見据えた政策決定を目指すことは、より良い将来のために、今後強く促進されていかなければならない取組です。
それが私たちの主張する、「ユースの参画」です。」
知識も経験も浅い私たちユースの声は、確かに説得力に欠け、聞く耳の持たれない場面も多いかもしれません。
しかし、これからの世代を担うユースだからこそ、伝えたい思い、伝えられる思いがあります。
【TICAD V開催まであと6日!】
雇用と民間企業.
サミットに参加したマダガスカル出身のHaja Rajaonarisonより。
「アフリカにおけるユースの割合は、2045年までに2倍になると言われています。
そして、サブサハラ地域に絞ると、ユースの内、5人に3人は職がなく、その多くが農村地域に住んでいます。また、アフリカの政治構造は未だに脆弱です。失業したユースはしばしば政府に対する暴力的な抗議活動の中心となり、社会を不安定にさせます。そのため、アフリカにおいて、ユースの雇用に対する取り組みは重要です。
ユースの雇用に関するもう一つの大きな問題は、技術・スキルのミスマッチです。これには3 つのタイプがあります。1つ目は、教育を十分に受けられないユースのスキル不足による問題、2つ目は、教育を受け、スキルはあるのにそれに見合う仕事につけていないユースの問題、3つ目は、教育の中身が、現状の文化、環境、社会に即していない問題です。雇用問題解決のためには、人材開発制度の充実も重要です。
アフリカは現在、経済成長率が年間平均5-6%を記録しており、最も成長著しい大陸です。その経済活動の拡大には、民間セクターも大きな役割を担っています。私達の提言では、特に農業と観光業が、雇用創出の鍵であるとしています。
多くのアフリカの国は、農業を基盤とした経済であり、GDPの約30%を農業が占めています。更に農村地域を中心に人口の約60%が農業活動に従事しています。昨今の食料価格の急上昇や、需要供給両面での拡大を受けて、今アフリカの農業は注目を集めています。もし、農業がその他の分野とのつながりを強め、組織化され、インセンティブを大きくできたなら、アフリカのユースに大きな雇用機会を与えられるでしょう。また、豊富で、ユニークな自然環境を活用した観光業も、大きな雇用の機会となります。
アフリカに対する投資は増えてはいますが、貧困から脱するには未だ不十分です。また、投資のリスクが高いという現状もあります。政府や民間企業は、海外の投資家と協働し、現地の起業家をサポートして、リソースをうまく活用していく必要があります。
今まであげた問題は、マダガスカルでも顕著です。マダガスカルでは、若者の失業率が5.4%を超えており、これは、国全体の失業率の3.8%を超えています。また、スキルのミスマッチも顕著です。マダガスカルのユースの中には、教育を十分に受けられなかった人が数多くいます。一方、高等教育を受けられた人でも、自分の専門と異なる分野で働く例はすくなくありません。就職活動の競争は非常に激しく、自身の専門分野にかかわらず、見つかった働き口に就職するしかないのです。
マダガスカルは、識字率や就学率で高い数値に到達してはいますが、教師や教授の給与は、平均と比べてかなり低いままです。更に、多くの大学院生がビジネスに関連する分野を専攻しているのに対し、財政面でのサポートの欠如は、早期の起業の機会を奪っています。
鉱業に関しては、投資が近年の経済成長を助けており、安定して成長はしていますが、なかなか雇用には結びついていません。広大な耕地や、気候条件などの地理的条件を見ると、マダガスカルは、アグリビジネスや農業セクターに大きな可能性を持っています。同様に、90%の動植物が固有種であるという、ユニークで魅力的な生態系は、観光業に大きな可能性を持たせています。
失業や貧困の問題は根深く、個々のこうした現状に対する恨みは、政治の変化を求める声につながり、2009年にクーデターを起こすにまで至りました。しかしそれによって、観光業は大きな影響を受け、更にアメリカの支援が減ったことにより紡績業が衰退、より多くの若者が失業に繋がってしまいました。
近年、アフリカはしばしば、国際フォーラムの話題となっています。そして、政治的・経済的な変化の展望を受けて、ユースは、未来のリーダーとして、経済のエンジンとして、平和と安定の伝達者として、中心的な役割を担っていかなくてはいけないでしょう。アフリカのユースは、まだその大きな夢を達成する可能性を奪われてはありません。将来の大きな成果に向けて、多大な努力と、ユース同士の結束が必要だと思います。」
Hajaさんの言葉にもあったとおり、雇用の問題はアフリカ各国で根深く、経済成長は不安定さを拭えません。
そこで私たちは、この分野において、以下の6つの重要性を提言しています。
「質の高い人材育成の促進」
「インフォーマル・セクターの再構築と社会的起業の促進」
「公的及び民間部門による投資の促進」
「投資環境の促進」
「農業セクターの改善」
「観光業の活性化」
日本でも失業率や就活問題は大きな課題として取り上げられることが多くあります。
我々日本の若者にとっても、就職・雇用の問題はとても重要で、こうした問題は他人ごととは思えないのではないでしょうか。
日本でも、経済成長が注目され始めているアフリカですが、その成長を安定したものにするためには、アフリカの将来を担うユース自身の働きが不可欠であり、一方で、日本などの先進国と、アフリカ各国の政府や民間企業がそれを支援し、共に成長していく形を作っていくことが求められるでしょう。
TICAD Vをきっかけに、日本とアフリカが共に経済的に成長していけるような道筋ができたなら、と思います。
「アフリカにおけるユースの割合は、2045年までに2倍になると言われています。
そして、サブサハラ地域に絞ると、ユースの内、5人に3人は職がなく、その多くが農村地域に住んでいます。また、アフリカの政治構造は未だに脆弱です。失業したユースはしばしば政府に対する暴力的な抗議活動の中心となり、社会を不安定にさせます。そのため、アフリカにおいて、ユースの雇用に対する取り組みは重要です。
ユースの雇用に関するもう一つの大きな問題は、技術・スキルのミスマッチです。これには3 つのタイプがあります。1つ目は、教育を十分に受けられないユースのスキル不足による問題、2つ目は、教育を受け、スキルはあるのにそれに見合う仕事につけていないユースの問題、3つ目は、教育の中身が、現状の文化、環境、社会に即していない問題です。雇用問題解決のためには、人材開発制度の充実も重要です。
アフリカは現在、経済成長率が年間平均5-6%を記録しており、最も成長著しい大陸です。その経済活動の拡大には、民間セクターも大きな役割を担っています。私達の提言では、特に農業と観光業が、雇用創出の鍵であるとしています。
多くのアフリカの国は、農業を基盤とした経済であり、GDPの約30%を農業が占めています。更に農村地域を中心に人口の約60%が農業活動に従事しています。昨今の食料価格の急上昇や、需要供給両面での拡大を受けて、今アフリカの農業は注目を集めています。もし、農業がその他の分野とのつながりを強め、組織化され、インセンティブを大きくできたなら、アフリカのユースに大きな雇用機会を与えられるでしょう。また、豊富で、ユニークな自然環境を活用した観光業も、大きな雇用の機会となります。
アフリカに対する投資は増えてはいますが、貧困から脱するには未だ不十分です。また、投資のリスクが高いという現状もあります。政府や民間企業は、海外の投資家と協働し、現地の起業家をサポートして、リソースをうまく活用していく必要があります。
今まであげた問題は、マダガスカルでも顕著です。マダガスカルでは、若者の失業率が5.4%を超えており、これは、国全体の失業率の3.8%を超えています。また、スキルのミスマッチも顕著です。マダガスカルのユースの中には、教育を十分に受けられなかった人が数多くいます。一方、高等教育を受けられた人でも、自分の専門と異なる分野で働く例はすくなくありません。就職活動の競争は非常に激しく、自身の専門分野にかかわらず、見つかった働き口に就職するしかないのです。
マダガスカルは、識字率や就学率で高い数値に到達してはいますが、教師や教授の給与は、平均と比べてかなり低いままです。更に、多くの大学院生がビジネスに関連する分野を専攻しているのに対し、財政面でのサポートの欠如は、早期の起業の機会を奪っています。
鉱業に関しては、投資が近年の経済成長を助けており、安定して成長はしていますが、なかなか雇用には結びついていません。広大な耕地や、気候条件などの地理的条件を見ると、マダガスカルは、アグリビジネスや農業セクターに大きな可能性を持っています。同様に、90%の動植物が固有種であるという、ユニークで魅力的な生態系は、観光業に大きな可能性を持たせています。
失業や貧困の問題は根深く、個々のこうした現状に対する恨みは、政治の変化を求める声につながり、2009年にクーデターを起こすにまで至りました。しかしそれによって、観光業は大きな影響を受け、更にアメリカの支援が減ったことにより紡績業が衰退、より多くの若者が失業に繋がってしまいました。
近年、アフリカはしばしば、国際フォーラムの話題となっています。そして、政治的・経済的な変化の展望を受けて、ユースは、未来のリーダーとして、経済のエンジンとして、平和と安定の伝達者として、中心的な役割を担っていかなくてはいけないでしょう。アフリカのユースは、まだその大きな夢を達成する可能性を奪われてはありません。将来の大きな成果に向けて、多大な努力と、ユース同士の結束が必要だと思います。」
Hajaさんの言葉にもあったとおり、雇用の問題はアフリカ各国で根深く、経済成長は不安定さを拭えません。
そこで私たちは、この分野において、以下の6つの重要性を提言しています。
「質の高い人材育成の促進」
「インフォーマル・セクターの再構築と社会的起業の促進」
「公的及び民間部門による投資の促進」
「投資環境の促進」
「農業セクターの改善」
「観光業の活性化」
日本でも失業率や就活問題は大きな課題として取り上げられることが多くあります。
我々日本の若者にとっても、就職・雇用の問題はとても重要で、こうした問題は他人ごととは思えないのではないでしょうか。
日本でも、経済成長が注目され始めているアフリカですが、その成長を安定したものにするためには、アフリカの将来を担うユース自身の働きが不可欠であり、一方で、日本などの先進国と、アフリカ各国の政府や民間企業がそれを支援し、共に成長していく形を作っていくことが求められるでしょう。
TICAD Vをきっかけに、日本とアフリカが共に経済的に成長していけるような道筋ができたなら、と思います。
【TICAD V開催まであと5日!】
教育
関西事務局長でアドボカシーチームの今泉奏より。
「教育は国家形成において要になる。
というのも、教育は国民のナショナリズム形成には欠かせないからだ。また、都市においては教育を受けたか否かで職を得られるかどうかという、生活に直結する問題もある。
そもそも、アフリカ地域には各地で脈々と築かれた「伝統教育」がある。これらは、主に口承で伝えられ、その地域や集団に根付く知恵やしきたりが色濃く残っている。
一方、19世紀以後にアフリカに入ってきたヨーロッパ式の「近代教育」は、大規模で普遍的なナショナリズム創造が重視され、国家形成のための教育となっている。双方の教育をどのように融合させるのかというが、アフリカ地域の教育を考える上で1番の悩みどころである。
しかしながら、本サミットにおいては学校教育に重点をおいた。
これはいささか「伝統教育」を軽視しがちなのは言うまでもなく、この点において不完全な提言であることは認めざるを得ない。不完全性を十分認めた上で、なぜ「近代教育」すなわち学校教育が必要なのか、考えるきっかけになったできごとを書こう。
私はケニア・ナイロビのスラムにおいて現地NGOが運営する小学校を見学させてもらった。
いわゆる多くの大学生の旅行者たちは「子どもがかわいかった。キラキラした目をしてた。」とはしゃぐのであるが(もちろん嘘ではないけれども、日本の子どもの目だってキラキラしてる)、そこに終止してしまい教育の現状にはあまり目を向けられていなかったように思う。
私がその学校で感じたのは、まず、ものの不足である。
教科書、鉛筆、ノートすべてを揃えている子は、40人近くいる教室でわずか数人であった。また、電気、机、いすを含めた教室の設備も十分ではなかった。
このような教育環境の問題は、一見して明らかである。授業見学の後、校長先生からのお話を伺うと、慢性的な教員不足が問題であることがわかった。教員養成には長い期間での計画と投資が不可欠である。この学校だけでなく別の学校でも教員が足りず、1人の先生が100人単位で生徒を教えているというのが現状である。
この背景として、国家の教員に対する劣悪な待遇と、教員養成システムの不備がある。具体的には、給料の遅延や未払い、師範学校の不足などである。
学校を後にした私は、帰りの道中でさらに別の光景を目にする。シンナーを吸って目を虚ろにしている子どもたちがそこにいた。現地の友人に聞くと、彼らは親も身を寄せるところもなく、物乞いや盗みをして日々生き延びているという。
彼らはいろんな理由があろうと親をなくし、教育を受けられずに日々暮らしている。教育の中心であるはずの子どもが、教育の外に放り出されているのだ。
生きる術になる教育を、貧困層の子どもが受けられずに、負のスパイラルに陥っている。このままでは、教育格差は広がり、同時に経済格差も広がり続けるだろう。」
「教育」、特に初等教育は、国連のミレニアム開発目標でも取り上げられた大事なイシューです。
確かに、10年前、20年前に比べると、就学率の改善などの面での改善は見られます。しかし、サブサハラ・アフリカにおいては、未だに約3300万人の子どもが初等教育を受けられていなかったり、初等教育を受けている子どもの内、およそ42%が中退したりしてしまっている現状があります。
また、教育の「質」に関しては、まだまだ課題が残る部分が多くあり、初等教育から先の、中等教育、高等教育に対する支援が少ないなどの現状もあります。
そこで私たちは、提言の中に、「教師・カリキュラム・教育管理の質の向上」や、「教育の価値に対する意識の向上」、「アクセシビリティ及び普遍的教育機会の弱者に対する援助の提供」などを盛り込んでいます。
教育を受ける立場だからこそ見えるもの、抱く意見があります。
教育は将来の国の発展に非常に重要なイシューです。日本などの先進国がそのノウハウを生かすところでは生かし、アフリカ諸国自身の取り組みを尊重して、手を取り合って、改善していくことが望まれます。
「教育は国家形成において要になる。
というのも、教育は国民のナショナリズム形成には欠かせないからだ。また、都市においては教育を受けたか否かで職を得られるかどうかという、生活に直結する問題もある。
そもそも、アフリカ地域には各地で脈々と築かれた「伝統教育」がある。これらは、主に口承で伝えられ、その地域や集団に根付く知恵やしきたりが色濃く残っている。
一方、19世紀以後にアフリカに入ってきたヨーロッパ式の「近代教育」は、大規模で普遍的なナショナリズム創造が重視され、国家形成のための教育となっている。双方の教育をどのように融合させるのかというが、アフリカ地域の教育を考える上で1番の悩みどころである。
しかしながら、本サミットにおいては学校教育に重点をおいた。
これはいささか「伝統教育」を軽視しがちなのは言うまでもなく、この点において不完全な提言であることは認めざるを得ない。不完全性を十分認めた上で、なぜ「近代教育」すなわち学校教育が必要なのか、考えるきっかけになったできごとを書こう。
私はケニア・ナイロビのスラムにおいて現地NGOが運営する小学校を見学させてもらった。
いわゆる多くの大学生の旅行者たちは「子どもがかわいかった。キラキラした目をしてた。」とはしゃぐのであるが(もちろん嘘ではないけれども、日本の子どもの目だってキラキラしてる)、そこに終止してしまい教育の現状にはあまり目を向けられていなかったように思う。
私がその学校で感じたのは、まず、ものの不足である。
教科書、鉛筆、ノートすべてを揃えている子は、40人近くいる教室でわずか数人であった。また、電気、机、いすを含めた教室の設備も十分ではなかった。
このような教育環境の問題は、一見して明らかである。授業見学の後、校長先生からのお話を伺うと、慢性的な教員不足が問題であることがわかった。教員養成には長い期間での計画と投資が不可欠である。この学校だけでなく別の学校でも教員が足りず、1人の先生が100人単位で生徒を教えているというのが現状である。
この背景として、国家の教員に対する劣悪な待遇と、教員養成システムの不備がある。具体的には、給料の遅延や未払い、師範学校の不足などである。
学校を後にした私は、帰りの道中でさらに別の光景を目にする。シンナーを吸って目を虚ろにしている子どもたちがそこにいた。現地の友人に聞くと、彼らは親も身を寄せるところもなく、物乞いや盗みをして日々生き延びているという。
彼らはいろんな理由があろうと親をなくし、教育を受けられずに日々暮らしている。教育の中心であるはずの子どもが、教育の外に放り出されているのだ。
生きる術になる教育を、貧困層の子どもが受けられずに、負のスパイラルに陥っている。このままでは、教育格差は広がり、同時に経済格差も広がり続けるだろう。」
「教育」、特に初等教育は、国連のミレニアム開発目標でも取り上げられた大事なイシューです。
確かに、10年前、20年前に比べると、就学率の改善などの面での改善は見られます。しかし、サブサハラ・アフリカにおいては、未だに約3300万人の子どもが初等教育を受けられていなかったり、初等教育を受けている子どもの内、およそ42%が中退したりしてしまっている現状があります。
また、教育の「質」に関しては、まだまだ課題が残る部分が多くあり、初等教育から先の、中等教育、高等教育に対する支援が少ないなどの現状もあります。
そこで私たちは、提言の中に、「教師・カリキュラム・教育管理の質の向上」や、「教育の価値に対する意識の向上」、「アクセシビリティ及び普遍的教育機会の弱者に対する援助の提供」などを盛り込んでいます。
教育を受ける立場だからこそ見えるもの、抱く意見があります。
教育は将来の国の発展に非常に重要なイシューです。日本などの先進国がそのノウハウを生かすところでは生かし、アフリカ諸国自身の取り組みを尊重して、手を取り合って、改善していくことが望まれます。
【TICAD V開催まであと4日!】
保健 .
サミット副リーダーの山江海邦より。
「日本で生活していて、日常の中で死を身近に感じることはあまりないのではないでしょうか。
少なくとも、僕はそうです。しかし、トーゴでの2ヶ月の滞在の中で、死は、日本のそれよりはるかに身近に感じられました。
1ヶ月ほど滞在していた村には、病院も診療所も、薬局すらもありませんでした。
ある日、いつも遊んでいた子どもの様子がどうもおかしい、息苦しそうで、高熱も出ていました。何かの病気であることは間違いありませんでした。しかし、その時僕にできたことは、その子を親のところに連れて帰ることぐらいしかありませんでした。
小さな村でしたが、何度かお葬式をしている場面を見かけました。いつもお世話になっていた現地NGO職員のお姉さんも、ある日突然亡くなりました。教えていた子どもの中には、両親を亡くし、姉弟2人で暮らしているうちもあれば、訪問した孤児院では、日本ならば保育器の中にいるような未熟児が、ゆりかごの中で、明日消えるかもわからぬ命の火を懸命に燃やしていました。聞けば、母親は出産とともに亡くなり、父親はどこにいるかもわからない子でした。
HIV/AIDSの問題もまた、深刻なものでした。トーゴは、HIV感染率だけを見れば、他のアフリカ諸国よりは幾分か低い数値を示します。しかし、実際の感染者は、統計よりも多いと言われています。事実、先ほどの村では、HIVポジティブの親戚がいる、という人の方が多い印象を受けました。町中では、”VIH / SIDA(フランス語でHIV/AIDSの意味)”の看板を掲げたNGOなども多くありましたが、一方で、HIV/AIDSに対する正しい知識を持っていなかったり、政府が無料で検査を実施していることを知らなかったりする人も数多くいるそうです。現地の売春婦の方々もまた、そうした意識が足りない人が多いそうです。
日本であれば、防げたかもしれない、少しでもいい方向に転がったかも知れないような出来事が、たくさんありました。特に感じたのは、都心部と農村部の格差です。病院へのアクセスにしろ、HIV/AIDSに対する意識にしろ、農村部の方が問題は大きく、深刻でした。
保健分野は、教育とともに、社会開発の分野で昔から叫ばれているイシューですが、まだまだ声を出し続けなければ、失われしまう命があることを、痛感しました。」
人の命は有限である。これは自明のことです。しかし、アフリカでは、そんな話で納得出来ない様な死が、未だ数多く存在します。
病院・医師の量、質の面での不足は、防げたはずの命を取りこぼしてしまうことに繋がります。それはそのまま、その国の発展の阻害へと繋がるでしょう。
社会福祉の整っている日本だからこそできる協力がまだまだあるはずです。
また、HIV/AIDSに関して言えば、日本は先進国の中で唯一感染者数が増えている国であり、人事とはいえないのが現状です。
私たちは、提言文書の中で、
「医療保障の質・アクセシビリティ及び保障の向上」
「感染症と非感染症疾病の蔓延を抑制するための対策の促進」
「HIV/AIDSに対する意識向上と大衆意識の改善」
「ユースの違法なドラッグの使用と喫煙の防止」
「アフリカにおける廃棄物管理の改善」
を、保健のターゲットとして掲げています。
今回触れなかったドラッグ、喫煙、廃棄物管理の問題も、日本の制度・技術が生かせる問題であり、一方で日本に住む我々も一緒に取り組んで行かなければいけない課題でしょう。
「日本で生活していて、日常の中で死を身近に感じることはあまりないのではないでしょうか。
少なくとも、僕はそうです。しかし、トーゴでの2ヶ月の滞在の中で、死は、日本のそれよりはるかに身近に感じられました。
1ヶ月ほど滞在していた村には、病院も診療所も、薬局すらもありませんでした。
ある日、いつも遊んでいた子どもの様子がどうもおかしい、息苦しそうで、高熱も出ていました。何かの病気であることは間違いありませんでした。しかし、その時僕にできたことは、その子を親のところに連れて帰ることぐらいしかありませんでした。
小さな村でしたが、何度かお葬式をしている場面を見かけました。いつもお世話になっていた現地NGO職員のお姉さんも、ある日突然亡くなりました。教えていた子どもの中には、両親を亡くし、姉弟2人で暮らしているうちもあれば、訪問した孤児院では、日本ならば保育器の中にいるような未熟児が、ゆりかごの中で、明日消えるかもわからぬ命の火を懸命に燃やしていました。聞けば、母親は出産とともに亡くなり、父親はどこにいるかもわからない子でした。
HIV/AIDSの問題もまた、深刻なものでした。トーゴは、HIV感染率だけを見れば、他のアフリカ諸国よりは幾分か低い数値を示します。しかし、実際の感染者は、統計よりも多いと言われています。事実、先ほどの村では、HIVポジティブの親戚がいる、という人の方が多い印象を受けました。町中では、”VIH / SIDA(フランス語でHIV/AIDSの意味)”の看板を掲げたNGOなども多くありましたが、一方で、HIV/AIDSに対する正しい知識を持っていなかったり、政府が無料で検査を実施していることを知らなかったりする人も数多くいるそうです。現地の売春婦の方々もまた、そうした意識が足りない人が多いそうです。
日本であれば、防げたかもしれない、少しでもいい方向に転がったかも知れないような出来事が、たくさんありました。特に感じたのは、都心部と農村部の格差です。病院へのアクセスにしろ、HIV/AIDSに対する意識にしろ、農村部の方が問題は大きく、深刻でした。
保健分野は、教育とともに、社会開発の分野で昔から叫ばれているイシューですが、まだまだ声を出し続けなければ、失われしまう命があることを、痛感しました。」
人の命は有限である。これは自明のことです。しかし、アフリカでは、そんな話で納得出来ない様な死が、未だ数多く存在します。
病院・医師の量、質の面での不足は、防げたはずの命を取りこぼしてしまうことに繋がります。それはそのまま、その国の発展の阻害へと繋がるでしょう。
社会福祉の整っている日本だからこそできる協力がまだまだあるはずです。
また、HIV/AIDSに関して言えば、日本は先進国の中で唯一感染者数が増えている国であり、人事とはいえないのが現状です。
私たちは、提言文書の中で、
「医療保障の質・アクセシビリティ及び保障の向上」
「感染症と非感染症疾病の蔓延を抑制するための対策の促進」
「HIV/AIDSに対する意識向上と大衆意識の改善」
「ユースの違法なドラッグの使用と喫煙の防止」
「アフリカにおける廃棄物管理の改善」
を、保健のターゲットとして掲げています。
今回触れなかったドラッグ、喫煙、廃棄物管理の問題も、日本の制度・技術が生かせる問題であり、一方で日本に住む我々も一緒に取り組んで行かなければいけない課題でしょう。
【TICAD V開催まであと3日!】
平和教育
サミット参加者の、筑波大学メンバー、青木伴晃より。
「グローバリゼーションが進行した1990年代初頭、グローバル化によって世界各国が緊密に結ばれるようになると同時に、多くのアフリカ諸国は国内での民主化、また内政が弱まっていく傾向にありました。それと並行して1990年代はアフリカにとって最も紛争の多い時期となりました。そうしてアフリカの情勢が悪化するなか、考慮されるようになったものが「平和と安定」。この概念は時代の流れとともに重要性を帯びていくようになりました。
私が訪れたのは西アフリカのガーナ。バックパッカーとして2012年の夏に1か月滞在し放浪をしました。
私がガーナを訪れるちょうど2日前の2012年7月24日。この日はガーナ共和国の第4共和政第3代大統領(2009年1月8日~2012年7月24日)ジョン・アッタ・ミルズ氏の命日となりました。
「俺たちの国は平和だから争い事はしない」
そういう言葉は旅の最中訪れる村々で村人から聞きました。多くのアフリカの国では大統領が亡くなってしまったりすると、次なる政権を求め権力闘争が起こります。また内在する様々な民族も駆り立てられ、国の治安は悪化する傾向にあります。
しかしながら、ガーナではそういった治安の悪化は感じられませんでした。私は村人から追悼の意味を表す赤のリボンをもらったので、それをバックパックに結びつけて旅をしました。
テレビやラジオでは突然の大統領の訃報に悲しみ、追悼する人々の様子が放送されます。
国全体の雰囲気が、死を悼み、また人々が「平和」を切望するものでした。マスメディア等には、ルワンダで起きたジェノサイドの時のように民族を煽ったり、争いを駆り立てたりする力もあります。しかしながらガーナではそのようなことはなく、純粋にこれからのガーナの将来の平和を切望する様子を放送していました。
そうした平和の概念が深く根付いているガーナではその後2012年12月10日、79.43%という民主主義を表すべく高い投票率のもと、ジョン・ドラマニ・マハマ大統領が誕生しました。多くのアフリカ諸国では、軍事クーデターで転覆されるか死亡しない限り、指導者が後退することのない長期の独裁政権が数多くあります。
また選挙が実施されているところでも、組織的な不正、また与野党同士の激しい対立などにより多くの犠牲者が出たりすることがあります。そんななかで民主主義を定着させ、また流血の事態に発展することもなく、無事に公正に選挙を終えたということは大きな意義があることだし、他のアフリカの国々に対しても良いモデルとなっていると感じました。
「平和」という概念を国全体として促進させ定着させていくこと、それは人々が平和を学んでいくことを表します。「教育」というものが「学校で学ぶこと」だけに捉われず、広く人々が平和を学んでいく過程として、すなわち「平和教育」として普及されていけば良いと思います。」
ガーナで青木が感じたように、平和への意識を市民が持つことは絶大な威力を持ちます。
平和への意識が政治的、制度的に広まっていくことも重要ですが、同時にそれが1個人レベルにまで広く認識されるためには「平和教育」は欠かせません。
しかしながら現在アフリカ諸国で平和教育が施行されている国は多くありません。
平和と安定を乱すアクターともなりうるユースが、主体的に平和教育のアクターとなること。
これが平和と安定を長期的にもたらす大きな礎となるのではないでしょうか。
「中等教育までの平和教育の義務かとそのための人材育成」
「平和関連活動におけるユースの直接参加の機会の拡大」
などのターゲットが実現されることによって、ユースは平和と安定をもたらす重要なアクターとなりうると信じます。
同様に以下のターゲットも重要になります。
「平和教育の実践と紛争解決のための独立した常設施設の設立」
「マスメディア・文化を通じた平和教育の促進」
「グローバリゼーションが進行した1990年代初頭、グローバル化によって世界各国が緊密に結ばれるようになると同時に、多くのアフリカ諸国は国内での民主化、また内政が弱まっていく傾向にありました。それと並行して1990年代はアフリカにとって最も紛争の多い時期となりました。そうしてアフリカの情勢が悪化するなか、考慮されるようになったものが「平和と安定」。この概念は時代の流れとともに重要性を帯びていくようになりました。
私が訪れたのは西アフリカのガーナ。バックパッカーとして2012年の夏に1か月滞在し放浪をしました。
私がガーナを訪れるちょうど2日前の2012年7月24日。この日はガーナ共和国の第4共和政第3代大統領(2009年1月8日~2012年7月24日)ジョン・アッタ・ミルズ氏の命日となりました。
「俺たちの国は平和だから争い事はしない」
そういう言葉は旅の最中訪れる村々で村人から聞きました。多くのアフリカの国では大統領が亡くなってしまったりすると、次なる政権を求め権力闘争が起こります。また内在する様々な民族も駆り立てられ、国の治安は悪化する傾向にあります。
しかしながら、ガーナではそういった治安の悪化は感じられませんでした。私は村人から追悼の意味を表す赤のリボンをもらったので、それをバックパックに結びつけて旅をしました。
テレビやラジオでは突然の大統領の訃報に悲しみ、追悼する人々の様子が放送されます。
国全体の雰囲気が、死を悼み、また人々が「平和」を切望するものでした。マスメディア等には、ルワンダで起きたジェノサイドの時のように民族を煽ったり、争いを駆り立てたりする力もあります。しかしながらガーナではそのようなことはなく、純粋にこれからのガーナの将来の平和を切望する様子を放送していました。
そうした平和の概念が深く根付いているガーナではその後2012年12月10日、79.43%という民主主義を表すべく高い投票率のもと、ジョン・ドラマニ・マハマ大統領が誕生しました。多くのアフリカ諸国では、軍事クーデターで転覆されるか死亡しない限り、指導者が後退することのない長期の独裁政権が数多くあります。
また選挙が実施されているところでも、組織的な不正、また与野党同士の激しい対立などにより多くの犠牲者が出たりすることがあります。そんななかで民主主義を定着させ、また流血の事態に発展することもなく、無事に公正に選挙を終えたということは大きな意義があることだし、他のアフリカの国々に対しても良いモデルとなっていると感じました。
「平和」という概念を国全体として促進させ定着させていくこと、それは人々が平和を学んでいくことを表します。「教育」というものが「学校で学ぶこと」だけに捉われず、広く人々が平和を学んでいく過程として、すなわち「平和教育」として普及されていけば良いと思います。」
ガーナで青木が感じたように、平和への意識を市民が持つことは絶大な威力を持ちます。
平和への意識が政治的、制度的に広まっていくことも重要ですが、同時にそれが1個人レベルにまで広く認識されるためには「平和教育」は欠かせません。
しかしながら現在アフリカ諸国で平和教育が施行されている国は多くありません。
平和と安定を乱すアクターともなりうるユースが、主体的に平和教育のアクターとなること。
これが平和と安定を長期的にもたらす大きな礎となるのではないでしょうか。
「中等教育までの平和教育の義務かとそのための人材育成」
「平和関連活動におけるユースの直接参加の機会の拡大」
などのターゲットが実現されることによって、ユースは平和と安定をもたらす重要なアクターとなりうると信じます。
同様に以下のターゲットも重要になります。
「平和教育の実践と紛争解決のための独立した常設施設の設立」
「マスメディア・文化を通じた平和教育の促進」
【TICAD V開催まであと2日!】
SSR (Security Sector Reform/治安部門改革)
サミット参加者の、ナイジェリアからの留学生、Benjamin Maiangwaより。
「安全保障制度の見直しは、争いのあった地域における平和の促進や持続的な発展において絶対的に必要なコンディションです。
制度の見直しに向けた努力は、国家機関の設立や政府プロセス、防衛機能の強化などに向けられるでしょう。SSRは安全保障に関係する主要関係機関の強化、監視機関の管理、司法機関や法制度の確立、更には安全保障や市民社会間における調和や協力の増進などが伴います。SSRの目的は、効果的で正当、かつ責任ある統治、そして紛争後の社会における法の規則を奨励したり、安全性を促進させたりすることです。そうすることで、SSRは、紛争後の社会が、暴力再発を避けるように支援します。ずさんな管理下にあるセキュリティー部門は開発や発展を阻害させ、投資の妨げとなり、それこそ紛争や低開発を永続させることになるのです。
特にアフリカの多くの紛争後の社会においては、無計画に行われたSSRが新たな武力紛争の火種となり反抗的な感情を生み出す原因となってきました。
リビアやコンゴ民主共和国のケースは、管理の不十分な治安分野の改革が、いかに悪影響をおよぼすかを示すのに最適な例です。紛争から回復する過程で、SSRが直面する大きな障害として、国際的な海外パートナーシップの欠如と、限られた資源にあります。その性質上、紛争後の社会は通常選挙を執り行う為に必要な資金や資源を生み出す事が出来ず、元戦闘員を採用して、彼らを学校、職業訓練センター、そして社会そのものに吸収させてしまう。
これこそが地域機関、国際社会、そしてその他の多国籍期間の役割が最も必要とされているところなのです。
暴力がエスカレートし、貧困に襲われた多くの社会では、防衛軍の改革や情報改革、国家安全保障計画、武装解除、復員、そして社会復帰(DDR)及び国境管理をサポートする為に、地域協力や国際援助が必要とされています。
現時点でこれらの改革を緊急に必要としているのはマリです。マリにおける危機はマリ国内やその近隣諸国だけでなく、アフリカ全体や国際社会にも脅威をもたらします。フランスの軍事介入だけでなく、利害関係者の集団行動を通した、より耐久性のある持続的介入が必要です。単独の軍事行動だけではマリや、ナイジェリアなどの周辺のサハラ諸国におけるテロ活動を終える事は出来ないのです。
このような背景に対して、私たちアフリカと日本のユースはガバナンスの観点からSSRの関連性を掲げ、リビアやマリにおける紛争を解決することを推奨し、紛争から回復途上の他の社会を安定させ、治安部門を再構築する為の長期的な努力を注いでいく必要があるとしています。
これらのものは地域関係者によって、一貫性を持って行われなければなりません。貧困や失業などの社会経済開発の問題などと同様に、平和的な選挙とこれらの社会における統治構造に繋がるプロセスも、明確に設置しなければなりません。この一連の流れの中で、正義と法的機関が強化され、かつ元戦闘員が、選挙執行前に、正常に社会に受け入れられ、社会統合されなければなりません。
アフリカ連合50周年の活動を祝う、この歴史的な節目において、いまこそアフリカのオーナーシップによる、大きなSSRの取り組みが必要です。
紛争予防と大陸の管理に従事している統括組織として、AUは、SSRや大陸の他の平和構築活動を行うためのより高いリーダーシップや制度永久構造を取るために開始する必要があります。日本のような主要アクターは、この様な困難の中でも、AUの能力を強化することが、最も重要で且つやりがいのある挑戦になるのではないでしょうか。この取り組みは、時間もかかり、莫大な資源、資金投入が必要なことでしょう。
私たちアフリカと日本の若者は、安全保障部門とガバナンス改革は、散歩のように気軽で、容易なものではなく、ちょっとした修正では達成出来ないという認識をしっかりと持っているのです。」
SSRという言葉は、もしかしたらあまり聞きなれないかもしれません。
しかし、彼の話の中から、その重要性がひしひしと感じられたのでないではないでしょうか。
彼の言葉にもあるように、もはやアフリカの紛争は、その国や周辺国だけの問題ではありません。例えば、マリで今起こっている紛争は、ナイジェリアのイスラム系過激派組織 ボコ・ハラムの活動拡大につながっているとされます。また、今年の冬に起きた、アルジェリアでの人質拘束事件も、マリの紛争に対するフランス軍の介入が背景にあります。
アフリカは現在、ビジネスの舞台として大きな注目を集めており、日本もその恩恵にあずかっています。裏を返せば、アフリカの治安は、日本の経済に影響を与えうる、無視できないものなのです。
私たちは、SSRのターゲットとして、
「司法・選挙制度の改革及び独立した汚職防止機関の設立」
「警察機関の環境における質の改善」
「共同集合的安全保障メカニズムの強化」
を掲げています。
グローバル社会の発展とともに、日本とアフリカが関係を強めていく中で、こうして治安部門を、世界の問題として捉えて改善していくことは、日本とアフリカが共に歩んでいく上で重要なのではないでしょうか。
「安全保障制度の見直しは、争いのあった地域における平和の促進や持続的な発展において絶対的に必要なコンディションです。
制度の見直しに向けた努力は、国家機関の設立や政府プロセス、防衛機能の強化などに向けられるでしょう。SSRは安全保障に関係する主要関係機関の強化、監視機関の管理、司法機関や法制度の確立、更には安全保障や市民社会間における調和や協力の増進などが伴います。SSRの目的は、効果的で正当、かつ責任ある統治、そして紛争後の社会における法の規則を奨励したり、安全性を促進させたりすることです。そうすることで、SSRは、紛争後の社会が、暴力再発を避けるように支援します。ずさんな管理下にあるセキュリティー部門は開発や発展を阻害させ、投資の妨げとなり、それこそ紛争や低開発を永続させることになるのです。
特にアフリカの多くの紛争後の社会においては、無計画に行われたSSRが新たな武力紛争の火種となり反抗的な感情を生み出す原因となってきました。
リビアやコンゴ民主共和国のケースは、管理の不十分な治安分野の改革が、いかに悪影響をおよぼすかを示すのに最適な例です。紛争から回復する過程で、SSRが直面する大きな障害として、国際的な海外パートナーシップの欠如と、限られた資源にあります。その性質上、紛争後の社会は通常選挙を執り行う為に必要な資金や資源を生み出す事が出来ず、元戦闘員を採用して、彼らを学校、職業訓練センター、そして社会そのものに吸収させてしまう。
これこそが地域機関、国際社会、そしてその他の多国籍期間の役割が最も必要とされているところなのです。
暴力がエスカレートし、貧困に襲われた多くの社会では、防衛軍の改革や情報改革、国家安全保障計画、武装解除、復員、そして社会復帰(DDR)及び国境管理をサポートする為に、地域協力や国際援助が必要とされています。
現時点でこれらの改革を緊急に必要としているのはマリです。マリにおける危機はマリ国内やその近隣諸国だけでなく、アフリカ全体や国際社会にも脅威をもたらします。フランスの軍事介入だけでなく、利害関係者の集団行動を通した、より耐久性のある持続的介入が必要です。単独の軍事行動だけではマリや、ナイジェリアなどの周辺のサハラ諸国におけるテロ活動を終える事は出来ないのです。
このような背景に対して、私たちアフリカと日本のユースはガバナンスの観点からSSRの関連性を掲げ、リビアやマリにおける紛争を解決することを推奨し、紛争から回復途上の他の社会を安定させ、治安部門を再構築する為の長期的な努力を注いでいく必要があるとしています。
これらのものは地域関係者によって、一貫性を持って行われなければなりません。貧困や失業などの社会経済開発の問題などと同様に、平和的な選挙とこれらの社会における統治構造に繋がるプロセスも、明確に設置しなければなりません。この一連の流れの中で、正義と法的機関が強化され、かつ元戦闘員が、選挙執行前に、正常に社会に受け入れられ、社会統合されなければなりません。
アフリカ連合50周年の活動を祝う、この歴史的な節目において、いまこそアフリカのオーナーシップによる、大きなSSRの取り組みが必要です。
紛争予防と大陸の管理に従事している統括組織として、AUは、SSRや大陸の他の平和構築活動を行うためのより高いリーダーシップや制度永久構造を取るために開始する必要があります。日本のような主要アクターは、この様な困難の中でも、AUの能力を強化することが、最も重要で且つやりがいのある挑戦になるのではないでしょうか。この取り組みは、時間もかかり、莫大な資源、資金投入が必要なことでしょう。
私たちアフリカと日本の若者は、安全保障部門とガバナンス改革は、散歩のように気軽で、容易なものではなく、ちょっとした修正では達成出来ないという認識をしっかりと持っているのです。」
SSRという言葉は、もしかしたらあまり聞きなれないかもしれません。
しかし、彼の話の中から、その重要性がひしひしと感じられたのでないではないでしょうか。
彼の言葉にもあるように、もはやアフリカの紛争は、その国や周辺国だけの問題ではありません。例えば、マリで今起こっている紛争は、ナイジェリアのイスラム系過激派組織 ボコ・ハラムの活動拡大につながっているとされます。また、今年の冬に起きた、アルジェリアでの人質拘束事件も、マリの紛争に対するフランス軍の介入が背景にあります。
アフリカは現在、ビジネスの舞台として大きな注目を集めており、日本もその恩恵にあずかっています。裏を返せば、アフリカの治安は、日本の経済に影響を与えうる、無視できないものなのです。
私たちは、SSRのターゲットとして、
「司法・選挙制度の改革及び独立した汚職防止機関の設立」
「警察機関の環境における質の改善」
「共同集合的安全保障メカニズムの強化」
を掲げています。
グローバル社会の発展とともに、日本とアフリカが関係を強めていく中で、こうして治安部門を、世界の問題として捉えて改善していくことは、日本とアフリカが共に歩んでいく上で重要なのではないでしょうか。
【TICAD V開催まであと1日!】
交流,
南部アフリカ事前渡航メンバーの新井鈴香より。
「私は、TICAD V 学生プロジェクトの事業で南アフリカとマラウイに滞在中、現地の学生や先生、JICA現地支部で働く職員の方々、露店の商人など、実に様々な人と関わる機会がありました。その中で強く感じたことは、「Face-to-Faceの情報ほど貴重で現実味を帯びているものはない」ということです。
そう顕著に感じたのは、マラウイの露店にいる商人と会話をしたときでした。
マラウイに滞在中、宿泊しているホテルの近くに大きなスーパーマーケットがありました。広い駐車場を兼ね備えているのですが、そこを横切る100mくらいの間、ひっきりなしに物売りが声をかけてくるのです。(時にはHey, Chinese!と叫びながら…)
「これいくらだと思う?お姉ちゃんは俺の友達だから、特別に1,000円で売ってあげるよ」と、小さなアクセサリーや置物を見せてくっついてきます。時には道路をわたり、宿泊しているホテルの門前まで来ることもありました。
最初は「いや、いりません」と言い、無視してやり過ごしていました。「アジア人=お金を持っている人」と見られるのが嫌だったのです。実際、ニコニコ手を繋ぎながらくっついてきた子どもたちが、財布を出したとたん“Money!”といって物乞いしてくることもありました。
しかしマラウイを離れる前日、露店を通り過ぎているときに、無口な商人が目につきました。彼は私に目もくれず夢中で何かを作っていたので、隣に座り、「何を作っているの?」と話しかけてみました。
彼は最初ぶっきらぼうに、「露店に出す木彫りを作っている」言いました。「どの位の時間で作れるの?いつも何個くらい作っているの?」と会話をしていくと、彼も段々打ち解けてくれたようで、近くの原木を持ってきて「これをつかって木彫りをつくるんだ。彫ったあとやすりをかけて、ピカピカするんだよ」と言いました。そうやって話をしていくうちに、単なる「露店の商人」であった彼の背景が見えてきました。
現在彼は35歳。故郷は露店のあるリロングウェ市ではなく、少し北上した田舎の土地にあること。中学、高校、専門大学を卒業したが、良い就職先が見つからず、お金稼ぐには都市で自分の商売を始めた方が良いと思い、リロングウェに来たこと。木彫りの技術は、露店の仲間の技術をまねて身に付けたこと・・・。
全てが、彼と直接話してみないことには分かりえないことでした。そして彼と話したことで、「マラウイでは農業以外の産業基盤が未だ脆弱であり、安定的な雇用創出が難しい」
という状況を、身をもって理解することができたのです。
その後、周りの商人も数人集まってきて、更に詳しい話を聞くことが出来ました。彼らの国の政策に対する意見、アフリカ一の経済大国といわれる南アフリカの印象、「日本」という遠いアジアの国の存在、すべてがインターネットや文献では知りえない、とても貴重な情報でした。
そうしてもうすぐ出発しなければ、という時、彼は自分の露店の前に私を連れていって、「何でも好きなものをとっていって。君は初めてできた日本の友達だから」と言ってくれました。
単なる「露店の商人」であった彼は、私の貴重な友人となりました。残念ながら、彼はインターネット環境に乏しいため、今後連絡を取り合うことは出来ないかもしれません。しかし、つかの間の会話だったけれども、彼の口から出た「マラウイ」という国に関する情報、そして現地人としての意見、考えなどは、日本でニュースや新聞を読んだりしているだけでは分かりえないことでした。それだけで、私はマラウイに来た価値があると思いました。
同じアフリカといえども、南アフリカとマラウイでは状況が大きく異なります。しかし、未だに日本では「アフリカ」という一単語で情報を一括する場合が多く、各国各々のリアルな情報や現状はなかなか伝わってきません。
実際に現地の人とFace-to-Faceでコミュニケ―ションをとること、会話をすること、意見を聞くことは、どの媒体から得る情報よりも正確でリアルなものです。日本とアフリカ諸国の地理的距離はどうやっても変えられませんが、今後日本とアフリカ各国の交流機会が育まれ、そのコミュニケーション的距離が縮まるよう、一個人としても道を模索していきたいと思います。」
日本から見ると、アフリカは距離的にも遠く、なかなか現地を訪れたり、日常の中で関わるような機会は少ないかもしれません。
そのため、ともすると私たちは、バイアスをかけ、アフリカを一面的なイメージで捉えてしまう危険があるのではないでしょうか。
しかし、アフリカ大陸は、日本とアメリカ(アラスカを除く)とヨーロッパ、インドと中国を足した程の面積がある、大きな大陸です。
その中に、多種多様な自然があり、文化があり、人がいます。
私たちは、交流分野において、
「日本国内における日本人・アフリカン学生ネットワーク構築 」
「日本・アフリカ間の学術的交流及び連携の円滑化」
「日本・アフリカ間の相互理解・社会的関心・文化交流のための環境整備」
「日本・アフリカ間の経済関係の強化」
「日本・アフリカ間の姉妹都市提携の増加及び強化」
を提言しています。
交流というイシューは、政府や国際機関、NGOが主導するだけで達成されるものでありません。
私たち一人一人の意識が、日本とアフリカの距離を近づけるのです。
特に1つ目、2つ目の提言にあるように、利害に縛られない学生・ユースが、交流を深め、絆を作ることが、日本とアフリカの未来によりよい影響を与えうるのではないでしょうか。
今年はTICAD Vが開催されることも有り、各種メディアや、官民様々な団体がアフリカにフォーカスを当てています。
皆さんもこの機会に、アフリカについて調べてみたり、近くのアフリカ料理屋さんを訪れてみたりしてはいかがでしょうか。
そして何より、思い切って、アフリカに足を運んでみるのも良いでしょう。
「私は、TICAD V 学生プロジェクトの事業で南アフリカとマラウイに滞在中、現地の学生や先生、JICA現地支部で働く職員の方々、露店の商人など、実に様々な人と関わる機会がありました。その中で強く感じたことは、「Face-to-Faceの情報ほど貴重で現実味を帯びているものはない」ということです。
そう顕著に感じたのは、マラウイの露店にいる商人と会話をしたときでした。
マラウイに滞在中、宿泊しているホテルの近くに大きなスーパーマーケットがありました。広い駐車場を兼ね備えているのですが、そこを横切る100mくらいの間、ひっきりなしに物売りが声をかけてくるのです。(時にはHey, Chinese!と叫びながら…)
「これいくらだと思う?お姉ちゃんは俺の友達だから、特別に1,000円で売ってあげるよ」と、小さなアクセサリーや置物を見せてくっついてきます。時には道路をわたり、宿泊しているホテルの門前まで来ることもありました。
最初は「いや、いりません」と言い、無視してやり過ごしていました。「アジア人=お金を持っている人」と見られるのが嫌だったのです。実際、ニコニコ手を繋ぎながらくっついてきた子どもたちが、財布を出したとたん“Money!”といって物乞いしてくることもありました。
しかしマラウイを離れる前日、露店を通り過ぎているときに、無口な商人が目につきました。彼は私に目もくれず夢中で何かを作っていたので、隣に座り、「何を作っているの?」と話しかけてみました。
彼は最初ぶっきらぼうに、「露店に出す木彫りを作っている」言いました。「どの位の時間で作れるの?いつも何個くらい作っているの?」と会話をしていくと、彼も段々打ち解けてくれたようで、近くの原木を持ってきて「これをつかって木彫りをつくるんだ。彫ったあとやすりをかけて、ピカピカするんだよ」と言いました。そうやって話をしていくうちに、単なる「露店の商人」であった彼の背景が見えてきました。
現在彼は35歳。故郷は露店のあるリロングウェ市ではなく、少し北上した田舎の土地にあること。中学、高校、専門大学を卒業したが、良い就職先が見つからず、お金稼ぐには都市で自分の商売を始めた方が良いと思い、リロングウェに来たこと。木彫りの技術は、露店の仲間の技術をまねて身に付けたこと・・・。
全てが、彼と直接話してみないことには分かりえないことでした。そして彼と話したことで、「マラウイでは農業以外の産業基盤が未だ脆弱であり、安定的な雇用創出が難しい」
という状況を、身をもって理解することができたのです。
その後、周りの商人も数人集まってきて、更に詳しい話を聞くことが出来ました。彼らの国の政策に対する意見、アフリカ一の経済大国といわれる南アフリカの印象、「日本」という遠いアジアの国の存在、すべてがインターネットや文献では知りえない、とても貴重な情報でした。
そうしてもうすぐ出発しなければ、という時、彼は自分の露店の前に私を連れていって、「何でも好きなものをとっていって。君は初めてできた日本の友達だから」と言ってくれました。
単なる「露店の商人」であった彼は、私の貴重な友人となりました。残念ながら、彼はインターネット環境に乏しいため、今後連絡を取り合うことは出来ないかもしれません。しかし、つかの間の会話だったけれども、彼の口から出た「マラウイ」という国に関する情報、そして現地人としての意見、考えなどは、日本でニュースや新聞を読んだりしているだけでは分かりえないことでした。それだけで、私はマラウイに来た価値があると思いました。
同じアフリカといえども、南アフリカとマラウイでは状況が大きく異なります。しかし、未だに日本では「アフリカ」という一単語で情報を一括する場合が多く、各国各々のリアルな情報や現状はなかなか伝わってきません。
実際に現地の人とFace-to-Faceでコミュニケ―ションをとること、会話をすること、意見を聞くことは、どの媒体から得る情報よりも正確でリアルなものです。日本とアフリカ諸国の地理的距離はどうやっても変えられませんが、今後日本とアフリカ各国の交流機会が育まれ、そのコミュニケーション的距離が縮まるよう、一個人としても道を模索していきたいと思います。」
日本から見ると、アフリカは距離的にも遠く、なかなか現地を訪れたり、日常の中で関わるような機会は少ないかもしれません。
そのため、ともすると私たちは、バイアスをかけ、アフリカを一面的なイメージで捉えてしまう危険があるのではないでしょうか。
しかし、アフリカ大陸は、日本とアメリカ(アラスカを除く)とヨーロッパ、インドと中国を足した程の面積がある、大きな大陸です。
その中に、多種多様な自然があり、文化があり、人がいます。
私たちは、交流分野において、
「日本国内における日本人・アフリカン学生ネットワーク構築 」
「日本・アフリカ間の学術的交流及び連携の円滑化」
「日本・アフリカ間の相互理解・社会的関心・文化交流のための環境整備」
「日本・アフリカ間の経済関係の強化」
「日本・アフリカ間の姉妹都市提携の増加及び強化」
を提言しています。
交流というイシューは、政府や国際機関、NGOが主導するだけで達成されるものでありません。
私たち一人一人の意識が、日本とアフリカの距離を近づけるのです。
特に1つ目、2つ目の提言にあるように、利害に縛られない学生・ユースが、交流を深め、絆を作ることが、日本とアフリカの未来によりよい影響を与えうるのではないでしょうか。
今年はTICAD Vが開催されることも有り、各種メディアや、官民様々な団体がアフリカにフォーカスを当てています。
皆さんもこの機会に、アフリカについて調べてみたり、近くのアフリカ料理屋さんを訪れてみたりしてはいかがでしょうか。
そして何より、思い切って、アフリカに足を運んでみるのも良いでしょう。